哲学の散歩道
哲学堂公園は、わたしの散歩コースの定番です。天気の良い昼下がりの休日には、論語のオーディオブック や、ジャズなどを聴きながら、日のあたる場所を選び、ゆったりと歩き過ごすのであります。
さて、この公園は名の通り、哲学にちなんだ美術品がひしめいており、なかでも私がいたく気に入っているのが、「哲学の庭 -相互理解のために-」(ワグナー・ナンドール)と題された、このモニュメント群です。
いろいろ思うことがあったので、備忘録を残しておきます。
真理を追い求めた5体の偉人たち
このモニュメント群は、11対の彫像と、それを配置する場をひっくるめて一つの芸術作品になっているようです。
まず、手前右の5体の内訳は下記の通りです。
- エクナトン(アメンホテプ四世)
- キリスト
- 釈迦
- 老子
- アブラハム
いずれも宗教や精神世界における抽象的な真理を追い求めた偉人たちです。
エクナトンは、私達の世代ではイクナートンという呼称で習った人が多いかもしれません。古代エジプトにて、多神教から一神教への宗教改革を行った人物です。
キリストは言うまでもなく、ユダヤ教からキリスト教が生まれるきっかけを作った人物です。
釈迦についても言うまでもなく、苦行を重ね、バラモン教などの古代インドの土着宗教から仏教を生み出した偉人です。
老子は道教の始祖とされる人物。荘氏とともに、無に真理を求め価値を置く「老荘思想」の大きな流れを作り出しました。
アブラハムは、旧約聖書の登場人物で、最初の預言者(神の言葉を預かり、伝えるもの)で、ノアの方舟の逸話は日本でも有名です。
さて、こうした偉人が囲むのは、鏡面の球体です。
鏡は自らを照らす光として、正しさの比喩的表現としても用いられます。
また、鏡は光を反射するその性質から、鏡自体の視覚的な実体は無いので、無の表現ではないか、とも考えられます。
さらに、球状の鏡は360度の全面の空間を映しますから、宇宙全体を一点として表現しているとも取られます。
多様な歴史的文脈を生み出した偉人たちが追い求めた真理は、実は同じ一つのものであった。だから、きっと互いに理解し合えるはずだ、という意図が込められているのかも知れません。
真理を法制化し、夜に秩序をもたらした3体の偉人たち
手前左にある彫像は、
- ユスティニアヌス帝
- 聖徳太子
- ハンムラビ
の三体で構成されています。
ユスティニアヌス帝は東ローマの皇帝で、現代の法にも多く影響を与えていると言われる『ローマ法大全』を編纂した人物。
聖徳太子は、言わずもがな、十七条の憲法や冠位十二階の制を定め、当時の国家体制の整備を行った人物です。
ハンムラビ法典は、古代バビロニアで成文法を作った人物。社会に出て、不文法の煩わしさを感じることが少なくないのですが、何千年も前に法文を明確に打ち出す重要性に気づいたハムラビ王はまことに偉大であると思います。
この3体の彫像が囲む床は、碁盤目状に区画されており、それが秩序を表現しているのだと思われます。
真理をもとに行動した3体の偉人たち
冒頭の写真の正面奥にあるのが、行動した偉人たちです。
別アングルから写したのがこちらの写真です。
手前から、
- ガンジー
- 達磨大師
- 聖フランシス
の3体です。
ガンジーは、非暴力によってインドを独立に導いた実践者。
達磨大師は、修行による悟りを説く禅宗の開祖。
聖フランシスは、各地の教会を立て直し、教団を率いた中世のキリスト教の実践者です。
彼らは同じ方向を向いて前進しています。相互理解のためには、理論だけではなく実践が必要だ、という意図があるのでしょう。
まとめ
世界をより良い方向に、相互理解を含めるためにやるべきこと全てが、この美術作品に詰まっていると感じました。
- 真理の探求
- 真理の形式知化
- 真理の実践
私は宗教家ではなく、むしろ特定の宗教に対して信仰を持っていない人間ですが、より良い世界を作っていくために、上記の3つを忘れず、世界を少しでも良い方向に持っていくお手伝いができれば、と思います。